森川テツシもうすぐ35歳の〈昭和好きソウル〉を激しくバイブしてくださる、福井テレビの『ふくい昭和の証言』。シリーズ6回目は「あこがれ! 賑わいの核 だるま屋 ~福井駅前の繁栄~」でした。
だるま屋……
1928年7月、元教員・坪川信一が開業した県内初の百貨店。独特の経営で人気を集め、『だるま屋少女歌劇』やコドモの国など、市民の共感を呼ぶ仕掛けで福井駅前繁栄の礎をつくる。類焼(1943)・戦災(1945)・震災(1948)と3回の災禍に見舞われながらも復興を果たすが、復興債務や郊外型大型店の台頭などが災いし1980年に西武百貨店に経営を移譲する。店名の由来は、坪川の風貌が達磨大師に似ていたことから。
参考文献:
福井新聞社・編『福井県大百科事典』 p.587,p.615
番組では、当時の関係者へのインタビューやスチール、活動写真(←あえてこう書きたい)を交えて〈だるま屋がもたらした街の賑わい〉をトレース。土曜日10:00~の放送ということもあり、ラテ欄の番宣読む頃にはオンエア終了!orz……みたいな状況をシリーズ開始以降繰り返してたんですが、ようやく、しっかりとチェックできた次第です。
いやあ、見応えガッツリでした。何より、オープン間もない頃の活動写真を見ることができたのがよかった。加えて、〈坪川信一の広告づくり〉を改めてリスペクトするきっかけにもなりましたね。番組でも紹介されましたが、オープン2日前の新聞広告がこれ↓

いきなり「?」印ですよ。1928(昭和3)年ですでにティーザー広告ですよ。当時の様子を記した文献には、こんな記述も。
(前略)三月の初め、街路に面した板囲いに「だ」という字が大きく書かれた。「なんだろう」。ここを通る人はみんなそんな疑問を持った。
この通りは福井駅から福井市の中心に出る一本道だから通行人が多い。だから「だ」という文字のうわさはパッと広がり好奇心につられてながめにくる人もいた。その次の日「だ」の横に「る」の字が書かれ、次の日に「ま」の字、その次の日には「屋」の字が書き込まれた。そして、ここが「だるま屋建設の敷き地」であることが、初めて知られたのだ。
福井新聞社・編『生きているふくい昭和史(上)』 p.42
うーむ。唸るしかないです。
昭和初期というと、「片岡敏郎の出現によって、日本の近代的広告作法は完成した」(広告批評・編『広告大入門』)時代。ですが、なかなかどうして、福井の広告表現だってかなりのレベルにあったんではないかと思いますね。
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>その次の日「だ」の横に「る」の字が書かれ、
へぇー!!
一瞬、最近の広告手法かと思うほど新鮮ですね!!
80年も前に、こんな広告が福井で展開されてたのかと思うと
けっこうショックです。
いま、僕らが新しいつもりでやってることが、とっくに
先人たちがやってました、ってことは多々ありそうですね。むむむ。
> 最近の広告手法かと思うほど新鮮ですね!!
でしょでしょ~。あと、こんなのもあります。
本文中でふれた『コドモの国』なんですが、
なぜ、カタカナ表記になってんのか?
実は、カタカナだと〈ある効果〉が見えるんですよ。
当時の新聞広告って、多分に技術的制約からか
・漢字,ひらがな ― 明朝体
・カタカナ ― ゴシック体
という文字組になってるんですね。
なので、〈コドモ〉とカタカナで表記してあると
その部分がより鮮明に目に飛び込んでくるわけです。
坪川信一がそういった視覚効果を狙ったかどうか
はっきり書いてある文献が見当たらないので、
あくまで推測の範囲でしかないんですが
〈子ども本位の経営〉という、だるま屋の
経営コンセプトがうかがい知れる表現だなあ、と。