今日は、スタッフ総出で、たとり直樹カメラマンの個展へ。会場では赤の勝負ネクタイを締めたたとりさんが出迎えてくれました。写真は「黒龍酒造」の酒造りを追った内容です。
一枚、一枚、蔵人さんたちのドラマチックな様相がみてとれます。途中「歌舞伎をみているような」もしくは「歌舞伎役者のような」印象を得ました。折しも午前中に森川がライティングした『中村征夫写真展』の原稿をチェック。中村氏が自らの写真観を“予感と余韻”と語っていた、という原稿の一文を思い出しました。たとりさんの写真も、同様の意を放っています。加えて黒龍で働く人たちの緊張とも余裕ともとれる「現場の空気感」が伝わってきました。
黒龍酒造に限らず、良き酒に巡りあうと、とかく「酒」だけを味わってしまい、その蔵元全体を評価しまいがちです。お酒だけがひとり歩きしている感じもあります。そこで今回、私は「黒龍」というよく知られたブランドの先入観を取り去り、素のままの「酒蔵で働く人たちの写真」という視点で拝見しました。杜氏が想像していたより若かったり、蔵人さんの眼鏡に愛嬌を感じたり。どれも、お酒造りにどれだけ真剣か、真剣が故に生まれるおいしい酒、という納得を、鑑賞後に得られました。
同時に、前回大野市で開催されたたとりさんの写真展にいらしていた、黒龍酒造で働くおばさまたちの、朗らかな笑顔もフィードバック。ああ、あの笑顔と、今回の写真は、シンクロしているんだ、嘘偽りはなかった、と再認識させられたのも然り。酒造りに携わる人の余裕、というのでしょうか、写真にも本人にもその空気感は漂っています。
見終えた後、ふと頭によぎったことが。たとりさんをはじめ、カメラマンは1枚の写真で、被写体の命を握り、作家の感性を付加して、表現します。つまり、1枚の写真で、観る人と、状況を説明できるし、シャッターを切ったときの気持ちを共有することができます。
ですが、コピーライターはどうでしょう? もし、本展で、黒龍の酒造りの写真が一切無く、コピーのみだけだったら、観る人に共感させ、感動させることができるでしょうか。
酒瓶を1本、会場において、周囲にコピーを張り巡らす、なんて。企画にもよるでしょうが。
コピーで「訴える」難しさを考えてしまいました。
■たとり直樹 写真展 「心、醸す。〜黒龍の酒造り〜」
5月2日〜5月7日 会場/福井新聞社 「風の森ギャラリー」
10:00〜18:00(最終日は16:00まで) 入場無料
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