1月10日付の朝日新聞で、池澤夏樹が語っておりました。見出しは
コピーの文体を追い出せ
言葉を扱う職業の私としては、大変興味深い寄稿でした。
池澤氏は、ここ何十年かの間に、日本語の性格が変わった。語彙や発音ではなく「言葉と人の関係」が変わった。私たちが日常で一番触れているのは、新聞、CM、ポスター、商品パッケージに書かれた文言=コピーである、と冒頭で語っています。
確かに、商品コピーには大げさ感がにじみ出ています。売るためには、多少の誇張は必要なのです。良く言えば演出とも呼びます。消費者に訴える言葉は、絶妙に、いや奇妙に作られたものです。その奇妙な言葉の羅列は、書くことを職としている私も否めません。
池澤氏は、こうした誇張が混じるのはしょうがないけれど、消費者は言葉を「軽く」しか受け取らない。問題なのは「言語生活全体がこの軽さに染まってしまったこと」と訴えます。
寄稿中盤、なかなか面白い見方をしていました。人と人の間でも
「自分を商品に見立てたような言葉遣いが多くなる」
「どこかコピーに似たトーンがある」
実は私たちはキャッチコピーで会話をしているのかもしれません。しかしコピーが先にあって会話があるのではなく、会話があってからコピーが生まれるものもあるでしょう。こうなるとどちらか先か、という実のない話に繋がっていくのですが…。
もとい、池澤氏の寄稿で、私が胸を打たれた部分
これが今のわれわれの言語生活である。
ある程度の嘘を含み、大袈裟で、
見た目には派手で魅力的だけど、
しかし信用のならない言葉。
私が足を突っ込んでいる広告業界を言い当てられたような気がしました。広告ひいては、それを乗せて発信するメディア全体のことかと。
この池澤氏の寄稿は、政治と言葉というタイトルで、最終的には、政治家も軽い言葉しか持っていないことを嘆き、集団自殺の教科書表記、薬害肝炎についてなど軽い言葉で扱いきれないものがあるのに、政治家の言葉は実に軽い、というくだりに落ち着きます。国の責務に「コピー」の文体は必要ないと。
政治家と言葉に関する寄稿でしたが、軽い言葉を広めてしまった業界にも問題があるのではないでしょうか。正直、飲食店や美容室の記事などは、軽い言葉のオンパレード。
私が店舗記事で気を付けていること、それは「その店にしかアピールできない情報を伝えること」です。店名を他店と差し替えても問題ない、という記事にはしたくない。無駄な言い回しで原稿を埋めたくないのです。一文字で客の出入りが決まる、と思っています。
私にしか伝えられない言葉、文章、記事。いつも模索中です。
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