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子ども時代の強迫観念が「ヤンワールド」の原点だった
ヤン映画では「食べる」シーンがよくありますが、その意図は?

絵画、詩、映画。どんな作家においても何によって霊感を得るのか――自分が体感したことから得ることでしょう。私にとっては、自らの強迫観念を吐き出すことでした。

「食べもの」は、私のいちばんの強迫観念だったのです。「食べものへの嫌悪」。小さい頃、食べものそのものが大嫌いでした。5歳くらいまで食べものを食べませんでした。すると母は「食べなさい」と言います。ずっと母に「食べなさい」と言われ続けてきました。
圧力があれば抵抗があります。私の映画には、そういうこと(食べものを食べるシーン)を入れようとしているわけではなくて、無意識に表われてくるのです。

私は「食べものへの執着」は、ときにはカニバリズムに繋がると思います。『オテサーネク―妄想の子供―』では、何もかも食べ尽したがる子どもがいます。この子どもは「現在」なのです。
つまりは、何もかも食べ尽したがる現在。転じて文明は何もかも食べ尽したがるカニバリズムであり、私の映画にとっては創造的なテーマなのです。

性欲をかきたてるシーンもでてきますが……?

私は、「セックス」と「性」と「エロチシズム」は別のものだと考えています。考えても見てください。エロチシズムのない性行為は、単なる体操です(笑)。私の映画にはセックスそのものはありませんが、エロチシズムは入っています。

フロイト曰く「快楽原則は自由の言い換え」。快楽は自由と解放に値するものなのです。性欲を美術芸術に意味づけするとすれば、それは「人を育てる役割がある」ということでしょうか。親の役割なのです。
「芸術は人間を解放する役割がある」と思っています。
そして結論。ヤンおじさんが抱く「実写とアニメ」への意識とは。
ブラザーズ・クエイ兄弟についてはどう思われていますか?

私は彼らに会ったことがあります。共通する意見も多かった。私と彼らの間に違いがあるとすれば、それは、彼らの映画は「ファンタスティックな映画」ということでしょう。
彼らは人工的に作っています。ファンタスティックは新しい世界を作っています。SFも同じです。ですが私は超現実主義です。ファンタステックな要素をリアリティによって探っているのです。

実写とアニメーションについては?

わけるつもりはありません。実写もアニメーションも私の中では一体化しています。
『オテサーネク―妄想の子供―』インフォメーション
『オテサーネク―妄想の子供―』
2000年/カラー/132分/チェコ共和国/スタンダードサイズ
配給:チェスキー・ケー、レン・コーポレーション
ベルリン映画祭でアンジェイ・ワイダ賞受賞 ピルゼン映画祭でグランプリ受賞

[あらすじ]
チェコのアートアニメーション作家として世界的に評価の高いシュヴァンクマイエルが今回題材として選んだのはチェコの民話。子どものいない夫婦が木の切株を子どもとして育てると、その子ども・オテサーネクは大鍋のおかゆをたいらげ、犬や豚や農夫、果ては両親まで飲み込んでしまいます。

この寓話を現代の不妊の夫婦に重ね合わせ、『アリス』と同様、少女の視点を通して描く本作は、グリム童話に通じるブラックなユーモアとグロテスクさを合わせ持ち、物語原型としての神話が持つ重層性と深い真理を観客に問いかけ、ベルリン映画祭でアンジェイ・ワイダ賞、ピルゼン映画祭でグランプリなど各地で絶賛されています。
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